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病気の意味・・「グレース&グリット」より

2015年10月27日

「グレース&グリット」はケン・ウィルバーの著作です。
彼は、トランスパーソナル心理学の思想家でしたが
現在は決別し、インテグラル思想の提唱者となっています。
そんな小難しいものを私が読む!わけはありません・・・
この本は、彼の他の著作とはちょっと違うのです。
34歳のケンが、36歳のトレヤと出会い、
まるで前世から探し求めてきたようにあっという間に惹かれあい
すぐ結婚し、その結婚式の数日後にトレヤの乳癌が見つかり、
それから5年の闘病ののちにトレヤと死別するまでの
二人が交互に書き綴った愛と苦しみと、それらを超えていった
事実の物語です。(グレースは恩寵、グリットは勇気という意味)

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ケンとトレヤが過ごした日々は、
ほとんどすべてが、癌と一緒でした。


ケンもトレヤも瞑想や食事、鍼、イメージ療法・・・
スピリチュアルな方面からも、またきちんとした医療の面からも
しっかりと取り組みます(やりすぎというくらいに!)
そして、ケンはさすがに思想家らしく、
様々な文化における病気の意味を調べるのです。


① キリスト教原理主義・・病気は基本的に、何らかの罪に
たいして神の下したもうた罰である。病気がひどいもので
あるほど、その罪は言語道断なものということになる。


② ニューエイジ・・病気は学びだ。あなたが病気になったのは、
あなた自身の霊的成長と進化を続けるために、そこから
学ばねばならぬ重要なことが何かしらあるはずだ。
精神だけが病気を起こす。それを癒せるのも精神だけだ。
クリスチャン・サイエンスのヤッピー的ポストモダン・バージョン。


③ 西洋医学・・病気とは基本的に、生物物理学的要因によって生じる
生物物理学的混乱である(ウイルスからトラウマ、遺伝的傾向や環境に
おける引き金となる要因まで)。あらかたの病気では、心理的または
霊的な治療について悩む必要はない。なぜならそういった非正統的療法は
通常役に立たないし、実際、適当な医学的治療から患者を遠ざけることにも
なりかねないからだ。


④ カルマ理論・・病気は悪いカルマの結果である。つまり過去世での
何らかの非道徳的な行為が、現世において病気という形となって実ったのだ。
病気は過去の悪行のあらわれとしては「悪い」ものだが、病気のプロセス
そのものが、過去の罪を燃やし尽くし、きれにするという点では「いい」ものだ。
つまりこれは浄化なのだ。


⑤ 心理学・・ウッディ・アレンいわく、「怒ったりなんかしないさ。
そのかわりガンになるんだ」。これは少なくともポップ心理学においては、
抑圧された感情が病気を引き起こすということを意味している。
つきつめると、病気は死の願望ということになる。


⑥ グノーシス派・・病気は幻影だ。現象宇宙は夢であり影であり、
幻影の世界から自由になるとき、人ははじめて病気からも自由になれる。
それは夢からの目覚めであり、幻影の宇宙を超越した「一つ」の
リアリティを探すときでもある。<スピリット>だけがリアリティであり、
<スピリット>の中に幻はない。神秘主義の極端かつ常軌を逸した例。


⑦ 実存主義・・病気それ自体には何の意味もない。したがって、それに
付与する意味は個人が自由に選ぶことができ、当人はそうした自らの選択に
責任を負えばいいだけだ。人は有限にして死すべき存在であり、病気を
自らの有限性の一部として受け入れることだけが、正しい態度だ。たとえ
その病気に個人的な意味を付与しているさなかにあっても。


⑧ ホリスティック医学・・病気は身体的、感情的、精神的、そして霊的な
要因から成り立っている。そのいずれも分けて扱うことはできないし、無視
することもできない。治療には、これらすべての次元が含まれるべきである
(だが実際には、これがしばしば「オーソドックスな治療の回避」と
読み替えられる。たとえそれが助けになるかもしれないとしても)。


⑨ 魔術・・病気は報いである。「わたしは病気になって当然だ。なぜなら
誰それが死ねばいいと思ったからだ」「あまり優秀であってはいけない、
きっと悪いことが起こるぞ」などなど。


⑩ 仏教・・病気はこの現象界にあって、回避しがたい出来事だ。なぜ病気が
あるのかを問いかけるのは、なぜ空気があるのか問いかけるようなものだ。
生、老、病、死はこの世の現象である。これらの現象はみな移ろい行くもの
(無常)であり、苦であり、また誰にでも公平に訪れるものとして位置づけられる。
悟り、すなわち涅槃を純粋に覚醒することによってのみ、病気は究極的に
乗り越えられる。なぜならそのとき、この現象界そのものもまた超越されるからだ。


⑪ 現代科学・・病気が何であれ、それには特別のひとつ、ないしいくつかの
理由がある。それらのうちのいくつかは必然的であり、その他はランダムないし
純粋な偶然による。どちらにしても病気には何の「意味」もない。
あるのは偶然と必然だけだ。

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ケンとトレヤほどの強靭な精神の持ち主でも
病気に翻弄され、一喜一憂し、泣きわめき、
そのつど自分の限界を知り、思い知らされ、
絶望し、そして、それを超えていきました。
(私たち夫婦が悩むなんて当然だ、と安心しました)


さて、あなたはどの考えに近いですか?
1つ、それとも2つ、3つのミックス?
どれでもいいんです、きっと。
人の数だけ正解があるでしょう。
そして、どの考えでやっていっても
自分自身と直面する機会がやってきます。
これはきついものですが、「恩寵」かもしれません。
今までほとんど見ることの出来なかった
自分自身の「顔」を真正面から見ることが出来ます。
さあ、「勇気」を出して覗き込みましょう!


それを自分で見ないことには始まらないのです。
どんなにそれが美しいか、それを知ったら、
驚きのあまり死んでしまう!かもれません。
かつて、ヒプノセラピーのクライエントに
病院のベッドサイドでこう言われました。
「こんなに幸せになっていいのかしら。
死んでしまうかもしれないわ、それくらい幸せ。」


私は何も言えず、ただ黙ってその人を見つめていました。
美しいその人の、何かが完成されていくのを
じっと見つめているしかありませんでした。
間に合った、ような気がしました。



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