自我の願い、真我の願い

アクセス・バーズ/催眠療法/鍼灸 [てるこの部屋]

自我の願い、真我の願い

2019-01-21


content
深~い変容のお手伝い!
問いかけと潜在意識のプロ福井てるこです。

 

アクセス・バーズを長く濃くやっている方がおっしゃいました。アクセスのいちばんのツールは「選択」であると。バーズ講座のテキストには選択のことはそれほど出てきません。あれ?いちばんは問いかけじゃなかったの?と少し驚きました。しかし、アクセスの海外のクラスもたっぷり参加してきたその方はおっしゃいます。どんなに問いかけしてもクリアリングしても、自分が選ぶかどうかで決まる!だから、選択がいちばん強力なツールなのです、と。

この選択という言葉は元は仏教用語で、偽りの教えを捨て、真実の教えを得ることというような意味があるそうです。(せんちゃく、せんじゃく、とも読む)しかし、一般的には二つ以上の中から条件にあったもの、より良いものを選び出すことを言いますね。

 

 

ところで、選択というと自由意志について考えてしまうのは私だけでしょうか?本当のところ人間に自由意志があるのかないのか考えたことはありませんか?私はこれまでいろんな勉強をしてきて、かえってわからなくなってしまったんです。願望実現系のセラピーやあるがままを見るダイレクトパスなどがゴチャゴチャになってしまったんです。ここでいったん整理してみたいと思います。願望実現系は引き寄せが有名ですが、イメージしたり、いい気分でいると願望が叶いやすいというものですよね。簡単にはいかないかもしれないけれど、自由意志が使えるということですよね。一方、あるがままを見る非二元やダイレクトパスの考えでは、すべては必然、完璧と言います。ただ起きているといいます。だから、自由意志はないと言います。う~ん、一体どっちが本当なんだろう?!

(笑)今はどっちも本当だと思っています(どっちでもいいってことでもあります)。どの視点で見ているかの違いで、自由意志があるかのように見えたり、ないように見えたりするのです。引き寄せは顕在意識(自分で意識出来ている意識)で願っているので、自我の願いです。なので、不安や心配から願ったり望んだりしている場合も多々ありますね。願いや祈りには確かにパワーがあり、自我的な自由意志を行使できますがこの宇宙に何らかの力や影響を及ぼすのですから、後でまた何らかの影響があるかもしれません。一方、非二元やダイレクトパスではストーリーを排除し、思考や知識で見ないでありのままを見るので不安や心配がなくなっていくのです。○○したい、○○が欲しいなどという思いが減ってきます(個人という感覚も薄くなってきます)。なので、そもそも何かを願わなくなったりするのです。起こることに対処しているだけという感じになってきます。

もちろん、願うのがいけなくて願わなくなるのがいいと言っているわけではありません。どちらもそれぞれの味わい、体験なのだなぁと思っています。せっかく今現在肉体を持っているのだから、肉体の喜びや自我の喜びをうんと満たしてあげるのはとても素敵なことだと思います(ただ、求め続けるから欠乏感や苦しみも続くかも~)もちろん、余計な思考を減らしていけば不安や心配からの願望も減りますし、願望自体も叶いやすくなるのは当然です。なので、ありのままを見るダイレクトパスをやり、願望実現もやれば最強ではないでしょうか(笑)

 

 

ところで私はう~んと昔、自己啓発セミナーというものに参加したことがあります。自分が大嫌いでなんとか変えたいと思っていたのです(今思えば、なんとけなげで愛しいんでしょうね、私!)詳細は省きますが、3日間の基礎コースの最後にぱっか~んと自我に亀裂が入ったのです。そこら中の人が愛しくて愛しくて、誰もが100%完璧で何も直すところはないように見えました。もちろん自分も100%完璧で何も直すところなどなかったと知りました(自分には直すべきところがたくさんあるというのは、単なる思考、妄想でした!)。なんとその時、セミナーに参加していた薬物中毒のような人と私は思いっきりハグしていました(あんな危険な人には絶対に近づくまいと初日には思っていたのに(笑)。

目の前の人のオーラがハッキリと見えました。私を見つめている夫のオーラがいちばん大きく、オレンジ色に輝いていました。セミナーの高揚感は何日か続きました。エネルギーが身体中から湧き上がってくるのです。それとは逆に思考は浮かんできませんでした。マグカップやお箸や何でもないものが輝いていました。しかし、マグカップやお箸などの名前が浮かんできませんでした。どうしても思い出せないのです。それが何に使うものかもわからなくなってしまった感じでした。ただただ、その完璧な美しさに涙を流していました。もちろん(美しい)という言葉さえ思い浮かぶことはありませんでした。

初めて地球に降り立った宇宙人でもあんなには感動しないでしょう。私はまるで赤ちゃんになってしまったかのようでした。その時、瞬間瞬間自分が選択していることを認識しました。(目線を上げることを選んだ、あそこを見ることを選んだ、立ち上がることを選んだ、力をいれることを選んだ、歩き出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、一歩足を出すことを選んだ、ドアノブに手をやることを選んだ、ドアノブを回すことを選んだ・・・)こんなふうにまるで映画の1コマ1コマを見るように瞬間瞬間を意識することが出来ました。努力しなくても勝手に意識出来てしまったという感じです。あれはひょっとしたら脳の高速処理を認識したのかもしれません(マハーシシステムのヴィパッサナー瞑想の高速サティみたいですね)。思考が抜け落ちて、直観で認識したのかもしれません。あんなに自分が明晰になったことはあれ以来ありません。ただ、思考が減れば心が格段に平和になることはハッキリと理解しました。思考こそが不安や心配を製造しているのです。

最初の話題に戻ると、アクセスでいう選択は「意図を放つ」「フォーカスする」感じだと勝手に思っています。選択はもちろん強力だと思いますが「より良いものを選ぶ」ことに抵抗を感じる人も少なくないのではないかと思います。過去のデータベースや今までの習慣のほうが強力すぎて引きずられてしまうのです。またセルフイメージが低いと、どうせ私なんてなどという思考が湧いてしまいがちです。途中でくじけてしまうんですよね。変化することにも大きな抵抗を感じてしまいがちです。なので、自分がどんな思考の傾向にあるかある程度意識出来てこないと(コンシャスネスにならないと)、本当に有意義な「選択」はできないかもしれません。

さて、今現在の私ですが「自分が許可したことしか起きていない」という感覚がいちばんしっくりきます。これは、顕在意識では願っていないのですが潜在意識の深い部分のメタ無意識で許可しちゃったという感じです(自分がこの現実を作っているという前提なら、そういうことになります)。本来のクリアな意識ならスムーズにいくところを、自我に滅茶苦茶なプログラムがあり勝手にやらかしているといった感じです。そしてそれはただの間違った?機能的ではないプログラムです。ですから、真我の願いとは違います。あの自己啓発セミナーの体験の時のように思考が抜け落ちてただの空っぽ(でもエネルギーは満タンだったんですよ)になったら、真我の願いの通り道になれるような気がしています。豊かさややすらぎ、愛や平和をただただ自分や人に与えられるでしょう。これからの私は余計な信じ込みや観念などをさらに取り去り、空っぽになって宇宙のエネルギーの太い通路になっていきたいと思っています。真我の願いとは宇宙の意志そのものだと思うのです。


お問い合わせ
お問い合わせ

PAGE TOP




MENU

CONTACT
HOME