私史上最大の怒り

思い込みの思考
それを支える感情を手放し
ものの見方を変え、自由になる
福井てるこです。

 

先日、たいへんなことがありました。大げさに言っているのではありません。警察が来そうになるくらい、私は叫び続けました。たぶん私史上最大の怒りです。帰り道、自分のジーパンが濡れていることに気づき、びっくりしました。なんとなんと、怒り過ぎて失禁していたのです(こんなこと書いていいんだろうか、私。ま、いっか。人間だもの。)

その日、私は気の置けない同郷の友人と食事をしていました。途中、私の夫の話になりました。その日私は夫を病院に連れていったのですが、歩くことが出来ず車椅子を使いました。悪性脳腫瘍は再発していないけれど、様々な機能が落ちてきているのです。車椅子は私にとっても夫にとってもショックなことでした。そんな話をしていたら、友人は言いました。「てるちゃん、希望を持ってほしい。」「人は希望がないと生きていけないのだから、希望を持ってほしい。」「ご主人の症状が良くなるという希望を持ってほしい。」「押し付けるつもりはないけれど、絶望の時に希望を見い出すことはとても大事なことで、それがないと生きれないんじゃないかと私は思っている。だから、希望を持ってほしい。」と。

私は最初は冷静に聞いていましたが、そのうちだんだん腹が立ってきました。たしかに・・・今の自分は落ち込んでいる、夫の状態に対して希望を持ってはいない。しかし、希望を持たなきゃダメなのか!絶望してたらダメなのか!、私は私の感情のままではいけないのか!現状の自分を否定されたような気持ちでいっぱいになりました。毎日頑張っている私に、さらにこれ以上希望まで持てなんて、あんまりだと思ったのです。

しつこい・・・本当にしつこい。帰ろうとする私を路上で掴まえて離さない彼女。だから、警察が来そうなくらい絶叫したのです。アクセスをやっている私は、すべては単に興味深いものの見方と言っています。しかしその時は「そうなんですね~。あなたはそう思っているんですね~。」とは言えなかったんです(ビールを3杯飲んで、酔いが回っていたのもあります(笑)しかし、私は決めているのです。どんな人の言葉にも(たとえ、大尊敬する人の言葉であっても)自分が嫌だと思ったら受け入れないと。それがどんなに優しく(あなたの為を思って・・)という雰囲気だとしても、私は絶対に受け入れないと。自分の意見は正しい、だからあなたもそうしなさいという正論は暴力です。そういう一見優しさや正しさを装った(いや、装っていないか・・考えが固着して気づきがないだけなんだろうか・・)人に対しては、何を言っても無駄だろうと思いました。なので「嫌だ~~~。やっめろ~~~。」と駅前で大絶叫したのです。

 

 

夜中、家に帰ると夫に抱きつき泣きました。おんおんおんおん泣きました。こういう時、夫が私の気持ちを推察出来るくらいの知能が残っていて本当に良かったなと思います。2012年の手術前の説明では「まったく感情がなくなるかもしれません。奥さんの顔もわからなくなるかもしれません。」と言われたのですから。

夫は優しく丁寧な口調でこう言いました。「その彼女は、昔の僕と同じだよ。」「僕から君にお願いします。彼女を温かい心と寛大な心で許して下さい。彼女は昔の僕と似ているから。僕も昔は自分の正しさを押し付けていたからわかるんだ。僕は正しいことを言っているのに、なぜわかってもらえないんだろうという体験があったから。その時の相手はみんな去っていってしまった。」「その彼女とまた仲直りしてください。君自身の人生が変わるから。」

 

そして、その日の真夜中・・熊野の目覚めた友とメールのやり取りをしました。熊野の友は私のタッピングの師匠でもあります。「怒りの種は、いつでも自分自身の内側にある。僕ならば、てるこさんの体験は美味しいご馳走なんだけどな。」本当に彼はユニークなんです。私のドラマにはいっさい巻き込まれない人。激しい感情が湧き起こったら、自分の思考の制限や固まった価値観、溜まったまんまの感情をスッキリ解放する大チャンスなのです。だから、お手伝いするよ~というメールでした。本当に私はついている!どういうわけか、何かショックな出来事があっても、当日か翌日には解消してしまう流れになっているのです。あれ?ひょっとすると(ひょっとしなくても!)これは友人が自分の意見を押し付けたとか押し付けないとかいう話ではないなと合点がいきました。きっと私の信念体系の解放のために起こっているのです。

深夜、熊野の友とメールのやり取りが続きました。どんな言葉が嫌だったのか?その言葉でどんな気持ちになったのか?それは身体のどこに感じるのか?どんな感覚なのか?それを丁寧に見ていき、まるで顕微鏡で観察するように細かく細かく感じていくのです。私は布団の中でどっぷりと怒りの感情の中に身を沈めました。そして、怒りが無くなったら次は「わかってもらえない」という悲しみの感情、そして次は・・・いつの間にか眠ってしまいました。何か不思議な夢を見ていたようですが、残念なことに忘れてしまいました。

 

目覚めると、昨日の人生最大の怒りや悲しみは消えていました。自分の中の怒りや悲しみにふさわしい表現をさせてあげた(大絶叫したり・・)のも良かったのだろうと思っています。いろんなことを考えました。友人が言う通り、私は希望は持っていない。しかし、希望を持っていない自分に満足していることに気づきました。私には希望を持ちたいという願いはないのです。希望が見えないから、その願いを持てないのかもしれません。自分でもわかりません。しかし、夫が悪性脳腫瘍を告知された時から、絶望の中に沈み、その絶望とともに生きてきた自分を本当によく頑張ったと思っています。こんなに私は強い人間だったのかと感心しています。絶望をまるっと許容してきた(せざるを得なかった?)ことは私の誇りでもあります。そんなことを考えました。

希望・・たしかにそれは素晴らしいものでしょうが、私のところにやってきたのは絶望でした。そして、どんなに抵抗してもその絶望を押しのけることは出来なかったのです。しかし、私はその絶望と仲良しになれたことで人生と仲良しになれたような気がしています。だから、希望がなくてももういいのです。そう思えるようになったのもつい最近のことですけどね。だから、これでいいのです。私にはこれで良かったのです。理由もないけれど、ただそうとしか言えません。

次の日、謝罪のメールをくれた友人に対して正直に返事を書きました。それに対して、また友人が返事をくれました。仲直りはもう無理だと思っていたから嬉しくて涙が出た、と。彼女は私の苦しみを少しでもやわらげたいと思い、それには希望を持つことだと思って言ってくれたんだそうです。どうしてもどうしても私の苦しみを減らしたいという一心だったそうです。そんな友人に対してあんなに罵倒して申し訳なかったな。昨日は本当は何が起こっていたのだろう。人生最大の怒りの先には、同郷の友人・熊野の友・そして夫の優しさをたくさん知る機会がありました。痛みを完全に感じることを自分に許せば、その先にはとてつもないギフトが待っているのです。ただし、それがどんなものかはそこに辿り着いてみないとわからないんですけどね(笑)

 

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。