幸せには、4つあるそうです。

OSHOの本を読んでいます。
読み始めたばかりだから、まだまだ理解できていませんが、
最初の数ページから、何かが起こりそうな予感のする本です。
「JOY」(喜び)です。


『幸せと成功とは何の関係もない、幸せは向上心とも関係がない。幸せとはお金や、
権力、名声とも関係がない。幸せと関係するものはあなたの性格ではなく、あなたの
意識なのだ。』とこの本「JOY」の冒頭にありました。
幸せとは何でしょう。
幸せの定義は、人それぞれです。
例えば、「幸」という漢字は、
「夭逝しないこと、つまり早死にしないで長生きすること」という意味です。
その昔、中国では、「幸せ」とは長生きすることだったのです。
OSHOは、幸せには4つあると言っています。
①快楽
②幸せ
③喜び
④至福
です。
この似たような言葉たちを、意識という観点でOSHOは解説してくれています。
まず、「快楽」というのは、肉体の感覚と言っています。
肉体を通して幸せになろうとすると、瞬間的な快楽しか与えられないし、
その快楽と同じ量と同じ程度の苦痛でバランスが保たれる、とあります。
どんな快楽もそのあと反対のものがやってくるというのは、肉体が二元性の世界に
存在するからだそうです。
昼と夜、生と死、、、、裏表の世界です。
以前、友人にこう教えてもらいました。
「人が何かを求める動機は、快楽を得るためか、苦痛から逃れるためか、
この2つしかないんだよ。」
永遠に快楽と苦痛の輪廻から逃れられないのは、眠っている人だとOSHOは言います。
世の中に、眠っている人と目覚めている人と2つのタイプがいて、
若干の少し眠っていて少し目覚めている人がいるそうです。
この少し眠って少し目覚めている人は、幸せが量から質に変化していき、
肉体的なものから、心理的なものへなっていくそうです。
これが「幸せ」です。
しかしこれもまた究極ではないそうです。
OSHOは言います。
究極とは、眠りから完全に目覚め、すべての夢が消え去ったときに起こる、と。
『快楽は他人に依存している。
幸せはそれほど他人に依存してはいない。
しかし、それでもまだあなたとは切り離されている。
至福は依存していない。また切り離されてもいない。
それこそがあなたの存在そのものだ。それこそがあなたの本質なのだ。』
夫に癌が見つかった時、私はこの世の終わりかと思うくらい嘆き悲しみました。
今ではあの激しい悲しみや苦しみはどうして起こったのかわかります。
私が、「依存」していたからです。
もっと正確に言えば、「依存し過ぎ」ていたからです。
私の幸せや人生の意味は、夫の存在で支えられていました。
その存在が無くなってしまう!という出来事は、
私にとって、あってはならないことでした。
それは、私の人生が失敗に終わる、ということを意味していたのです。
冷静に考えれば「大変なことが突然降りかかる」ということは、
誰にだって、もちろん自分にだって、あっておかしくないことです。
それが、当時は受け入れるのに時間がかかりました。
OSHOの本を読んでいると、自分が求めていた幸せは、
外側の状況に左右されるものだったということがわかりました。
夫がいるから幸せ。健康だから幸せ。仕事があるから幸せ。旅行に行けるから幸せ。
いえいえ、それでも不満だらけだったと思います。
海水を飲むと、喉が渇いてさらに飲みたくなるような・・・
目の前にニンジンをぶら下げられて走る馬のような・・・
私は、砂上の楼閣を作り上げようと無駄な努力をしてきたような気持ちになりました。
私たちは、何も持たずにこの世界にやってきて、何も待たずに去っていく存在なのに。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。